表題とは全然関係のない話題なんだけど、ちょっと気になったので。
尖閣諸島問題で、証拠ビデオを流出させた保安官が書類送検され、停職処分されるにあたり、職を辞すということが昨日ありました。
上がどうしようもないせいで、下の人間が職命を賭して頑張らねばならないとは本当に情けない話で、非国民売国奴とトップが言われる最悪の自体に世はびっくりするほど大人しい。
もし上が独裁者で、誤った政治をもたらしても、この国は「国家公務員法」にのっとり、また言論統制に従って、フツーに民主主義を失って行くのだろうと思った。
まあそんな御託はいいとして、この1年3カ月で世間様がわかったことは民主党に「政権担当能力」がないってこと。
ないならさっさと降りていただきたい。
能力がないだけではなく、知識もない。
一度下りて、ちゃんと勉強してきてから、「再チャレンジ」されてはどうかと思う。
力のない人間が上にいるというのは、本当に迷惑この上ない。
でもそもそもは、あの連中に「一度やらしてみてもいいではないか」って世間が思ったことだと思うんだけどね。
『イ・サン』て韓国ドラマの中で、王様であるイ・サンが有能な若手を発掘する時の場面、お付きの内官が、その答案を書いた人物の非凡さを、答案を見ただけで「私にさえわかる」という。
普通はそんなもんだと思う。
政権交代前のマニュフェストを見ただけで民主党のアホアホさはわかるし、自民の首脳陣もその後やたらと「政権担当能力」「政権担当能力」と言いだしたけれど、見てわかんなかった国民の皆さまは、もうお偉そうな口をきくのはおよしになったらいかがだろう。
「国民目線」は一歩間違えたら「素人目線」だけど、本当に一歩間違えてるし、今回。
負の時代を後何カ月築くのかしらん。
トップにいた鳩山・菅・小沢がこの体たらくでは、菅が下りたところで自体はさらにひどくなるばかりだろう。「菅」なだけに穴だらけって感じ? 「漢」になれないの?
小沢氏も、とりあえずあの保安官を見習って、潔く行動したらどうかな。
最初は裏で動こうとしていても、きっちり自分から名のり出て行動しましたよ。そして潔くひきましたよ。
裏でこそこそする奴は、真実があからさまにされても往生際が悪い。
私は個人的にそういうやつを知ってるので、よくわかる。
さて、本題。
「『春琴抄』ノート」ですが、約20年前当時の論文と大きく変わったことを一つ付け加えておくと、当時は遊女のモチーフを「隠した」と、主に表現していたということ。
これ、この調査をしている時に、どうしても頭から自分が書いた小説『時をはらむ女』が離れなくて、こういう認識をしてしまった。客観を心がけていたつもりでも、やっぱりこうなる。
『時をはらむ女』も、あれは登場人物「なみ」を設定変えしたので、設定変えかな、とは思ったんだけど、そちらを主眼にした書き方はどうしても最後までしなかった。
今回反省してそれを改めました。
そして書いてる途中で、その『時をはらむ女』のことをいろいろと思いだした。
「波広」って登場人物の名前は「なみ」から出来た。
書いたっけ?どこかで。
「春禽」→「春琴」なんてネーミングあるのかって聞かれそうだけど、
いや、あるでしょ、普通に。
登場人物の名前つける時って、それでなくても漢和辞典はよくひくもので、別の読みはないか、他の言葉はないかと探すもんです。
また、作品の中に他のモチーフを入れこむことはあるのかって聞かれそうだけど、
いや、あるでしょ、普通に。
論理的にいろいろ語れないし、小説の中では。
それでそれを読者にとくことを要求しているかというと、正直な話、してないんだな。
そこまで読める人がそういると思えない、それが正直なところ。
でも作家なんかは中に読みとる人がいて、この「『春琴抄』ノート」を読んだ後に川端康成の『眠れる美女』を読んだら、たいへん興味深いかもしれない。
このキャッチボールはたいへん面白い。
それでも読んでもどこが何やらわからなかった人は、自分の読解力は表をなぞるのが限界の読解力と思った方がいいかもしれない。
て、言ったら、一歩間違えたら偉そうに聞こえるんだけど、そういう能力の差が出るのは仕方ない。
私が高校3年生の時、50mのタイムが10秒フラットだったように、人には得意不得意がある。
今回これ書いててもう一つ思い出したのに、飛鳥部勝則の盗作問題のこと。
この件に関しては、「盗作その他」の項目に詳しいし、サイトも用意している(http://www.horikawanarumi.jp/pakuri/asukabe/ *12月25日を持って、圧縮ファイルのみの公表)のでそちらを参照いただきたいんだけど、飛鳥部勝則『誰のための綾織』が、三原順『はみだしっ子』を盗作してるというネタは、確かうちのサイトに来てる人にきいて、で、マンガのコーナーをあけたらなんと!カウンターがぶっ飛んでおり、調べているうちにYAHOOがその粗筋として私の『はみだしっ子』レビューに勝手にリンクしていたせいであったことに始まった。
で、一体どんなふうに盗作してるの、と思い、ネットをうろうろしていると、いわゆる「検証サイト」のブログの方に行きあたったので、最初はそれだけ見たときに、盗作かとは思った。
でも、なんか腑に落ちない。
そんでネット上で言われている「検証サイト」というものが他にもあるらしく、探し当ててみて、「あった」とめくってみた。
めくってみて驚いた。
下までサーッとページをおろしてみて、自分の頭の中でもサーッと血の気がひいていくのがわかった。
「論証がない。」
要するに同じところを抜き出して、一緒だからと言ってるらしいことがわかった。でも実際それは資料1にしか過ぎない。
そして『春琴抄』で一覧表を作った経験がある私には、それだけ内容的にかぶるということは、筆者が技法として故意に挿入してるケースもあるということがすぐに頭をよぎった。
「やばくないか…これ…」
しかもものは韻文ではなく散文、飛鳥部の小説も、非常に長いものらしい。
で、それを素直にブログに書いたんだけど、どう見てもアホな方々に悪口言われて終わり。
あのさ、表現が大量にかぶってる場合、それは技法かもしれないってこと、わからないんでしょ?
わからないのになんでそんな偉そうなのか、そっちもさっぱりわからない。
それで飛鳥部氏本人の、絶版前のコメントを読んでみると、「ああ、やっぱり認めてない…」。
さらにネットで騒いでいた方々は、彼のコメントの「参考文献一覧」の、「一覧」の文字さえ目に入ってない。
一覧ってことは、言外に「複数ある」「他にもある」ってにおわせてるってことじゃないか。
そしたらそれは技法の可能性が高いってことでしょ。
そしてその後私は、『誰のための綾織』を購入し、読んで、あのサイトを立ち上げたといういきさつへと至る。
その間、結構長く時間がかかった。
飛鳥部氏には、あのコメントが二度掛けのミステリーのつもりだったんだろうけど、この人の最大の誤算は、読者はそこまで読めないってことを知らなかったことです。
『春琴抄』でもたいがいの読者がそこまで読みこめたら、発表から60年も待たずに、遊女の件は解き明かされてたと思うんですけど。
『時をはらむ女』を書いた時、その読後感想を見た時も思った。
読者は、作者が期待するほど読めない。
読者は、作者が恐れるほど、読めない。
ネットでは「謙虚に」とか「認めろ」とか、その後に出た飛鳥部氏の納得できないというコメントに散々罵詈雑言を吐いていましたが、たぶん今、彼らの前に鏡をたてかけて「もう一度どうぞ」と、言ってみるのもいいかと思う。
谷崎の時代は、そういう意味ではよかったかもしれない。
発言者がどういう人かわかる。
当時匿名では、内容によっては、「本気で相手にする価値あらず」と思って捨てたかもしれない。
やたらと有名人に「謙虚さ」をネットで求める時代ではあるけれど、それは求めている本人が己を省みて投げかけてみる必要はないのかと、今ひとたび問いかけてみたいところなんだけど。
こんなことをつらつらと思いながら、「セチ辛い」と言いつつも、自分の哲学と意志を貫いた大谷崎は、やっぱり偉大だと思った次第である。
「『春琴抄』ノート」は、まだ続く。