2010年12月23日

『春琴抄』ノート2

 表題とは全然関係のない話題なんだけど、ちょっと気になったので。
 尖閣諸島問題で、証拠ビデオを流出させた保安官が書類送検され、停職処分されるにあたり、職を辞すということが昨日ありました。
 上がどうしようもないせいで、下の人間が職命を賭して頑張らねばならないとは本当に情けない話で、非国民売国奴とトップが言われる最悪の自体に世はびっくりするほど大人しい。
 もし上が独裁者で、誤った政治をもたらしても、この国は「国家公務員法」にのっとり、また言論統制に従って、フツーに民主主義を失って行くのだろうと思った。
 まあそんな御託はいいとして、この1年3カ月で世間様がわかったことは民主党に「政権担当能力」がないってこと。
 ないならさっさと降りていただきたい。
 能力がないだけではなく、知識もない。
 一度下りて、ちゃんと勉強してきてから、「再チャレンジ」されてはどうかと思う。
 力のない人間が上にいるというのは、本当に迷惑この上ない。
 でもそもそもは、あの連中に「一度やらしてみてもいいではないか」って世間が思ったことだと思うんだけどね。
 『イ・サン』て韓国ドラマの中で、王様であるイ・サンが有能な若手を発掘する時の場面、お付きの内官が、その答案を書いた人物の非凡さを、答案を見ただけで「私にさえわかる」という。
 普通はそんなもんだと思う。
 政権交代前のマニュフェストを見ただけで民主党のアホアホさはわかるし、自民の首脳陣もその後やたらと「政権担当能力」「政権担当能力」と言いだしたけれど、見てわかんなかった国民の皆さまは、もうお偉そうな口をきくのはおよしになったらいかがだろう。
 「国民目線」は一歩間違えたら「素人目線」だけど、本当に一歩間違えてるし、今回。
 負の時代を後何カ月築くのかしらん。
 トップにいた鳩山・菅・小沢がこの体たらくでは、菅が下りたところで自体はさらにひどくなるばかりだろう。「菅」なだけに穴だらけって感じ? 「漢」になれないの?
 小沢氏も、とりあえずあの保安官を見習って、潔く行動したらどうかな。
 最初は裏で動こうとしていても、きっちり自分から名のり出て行動しましたよ。そして潔くひきましたよ。
 裏でこそこそする奴は、真実があからさまにされても往生際が悪い。
 私は個人的にそういうやつを知ってるので、よくわかる。

 
 
 さて、本題。
 「『春琴抄』ノート」ですが、約20年前当時の論文と大きく変わったことを一つ付け加えておくと、当時は遊女のモチーフを「隠した」と、主に表現していたということ。
 これ、この調査をしている時に、どうしても頭から自分が書いた小説『時をはらむ女』が離れなくて、こういう認識をしてしまった。客観を心がけていたつもりでも、やっぱりこうなる。
  『時をはらむ女』も、あれは登場人物「なみ」を設定変えしたので、設定変えかな、とは思ったんだけど、そちらを主眼にした書き方はどうしても最後までしなかった。
 今回反省してそれを改めました。
 
 そして書いてる途中で、その『時をはらむ女』のことをいろいろと思いだした。
 「波広」って登場人物の名前は「なみ」から出来た。
 書いたっけ?どこかで。
 「春禽」→「春琴」なんてネーミングあるのかって聞かれそうだけど、
 いや、あるでしょ、普通に。
 登場人物の名前つける時って、それでなくても漢和辞典はよくひくもので、別の読みはないか、他の言葉はないかと探すもんです。

 また、作品の中に他のモチーフを入れこむことはあるのかって聞かれそうだけど、
 いや、あるでしょ、普通に。
 論理的にいろいろ語れないし、小説の中では。
 それでそれを読者にとくことを要求しているかというと、正直な話、してないんだな。
 そこまで読める人がそういると思えない、それが正直なところ。
 でも作家なんかは中に読みとる人がいて、この「『春琴抄』ノート」を読んだ後に川端康成の『眠れる美女』を読んだら、たいへん興味深いかもしれない。
 このキャッチボールはたいへん面白い。
 それでも読んでもどこが何やらわからなかった人は、自分の読解力は表をなぞるのが限界の読解力と思った方がいいかもしれない。
 て、言ったら、一歩間違えたら偉そうに聞こえるんだけど、そういう能力の差が出るのは仕方ない。
 私が高校3年生の時、50mのタイムが10秒フラットだったように、人には得意不得意がある。
 
 今回これ書いててもう一つ思い出したのに、飛鳥部勝則の盗作問題のこと。
 この件に関しては、「盗作その他」の項目に詳しいし、サイトも用意している(http://www.horikawanarumi.jp/pakuri/asukabe/ *12月25日を持って、圧縮ファイルのみの公表)のでそちらを参照いただきたいんだけど、飛鳥部勝則『誰のための綾織』が、三原順『はみだしっ子』を盗作してるというネタは、確かうちのサイトに来てる人にきいて、で、マンガのコーナーをあけたらなんと!カウンターがぶっ飛んでおり、調べているうちにYAHOOがその粗筋として私の『はみだしっ子』レビューに勝手にリンクしていたせいであったことに始まった。
 で、一体どんなふうに盗作してるの、と思い、ネットをうろうろしていると、いわゆる「検証サイト」のブログの方に行きあたったので、最初はそれだけ見たときに、盗作かとは思った。
 でも、なんか腑に落ちない。
 そんでネット上で言われている「検証サイト」というものが他にもあるらしく、探し当ててみて、「あった」とめくってみた。
 めくってみて驚いた。
 下までサーッとページをおろしてみて、自分の頭の中でもサーッと血の気がひいていくのがわかった。
 「論証がない。」
 要するに同じところを抜き出して、一緒だからと言ってるらしいことがわかった。でも実際それは資料1にしか過ぎない。
 そして『春琴抄』で一覧表を作った経験がある私には、それだけ内容的にかぶるということは、筆者が技法として故意に挿入してるケースもあるということがすぐに頭をよぎった。
 「やばくないか…これ…」
 しかもものは韻文ではなく散文、飛鳥部の小説も、非常に長いものらしい。
 で、それを素直にブログに書いたんだけど、どう見てもアホな方々に悪口言われて終わり。
 あのさ、表現が大量にかぶってる場合、それは技法かもしれないってこと、わからないんでしょ?
 わからないのになんでそんな偉そうなのか、そっちもさっぱりわからない。
 それで飛鳥部氏本人の、絶版前のコメントを読んでみると、「ああ、やっぱり認めてない…」。
 さらにネットで騒いでいた方々は、彼のコメントの「参考文献一覧」の、「一覧」の文字さえ目に入ってない。
 一覧ってことは、言外に「複数ある」「他にもある」ってにおわせてるってことじゃないか。
 そしたらそれは技法の可能性が高いってことでしょ。
 
 そしてその後私は、『誰のための綾織』を購入し、読んで、あのサイトを立ち上げたといういきさつへと至る。
 その間、結構長く時間がかかった。
 
 飛鳥部氏には、あのコメントが二度掛けのミステリーのつもりだったんだろうけど、この人の最大の誤算は、読者はそこまで読めないってことを知らなかったことです。
 『春琴抄』でもたいがいの読者がそこまで読みこめたら、発表から60年も待たずに、遊女の件は解き明かされてたと思うんですけど。
 『時をはらむ女』を書いた時、その読後感想を見た時も思った。
 読者は、作者が期待するほど読めない。
 読者は、作者が恐れるほど、読めない。
 ネットでは「謙虚に」とか「認めろ」とか、その後に出た飛鳥部氏の納得できないというコメントに散々罵詈雑言を吐いていましたが、たぶん今、彼らの前に鏡をたてかけて「もう一度どうぞ」と、言ってみるのもいいかと思う。
 
 谷崎の時代は、そういう意味ではよかったかもしれない。
 発言者がどういう人かわかる。
 当時匿名では、内容によっては、「本気で相手にする価値あらず」と思って捨てたかもしれない。
 やたらと有名人に「謙虚さ」をネットで求める時代ではあるけれど、それは求めている本人が己を省みて投げかけてみる必要はないのかと、今ひとたび問いかけてみたいところなんだけど。
 
 こんなことをつらつらと思いながら、「セチ辛い」と言いつつも、自分の哲学と意志を貫いた大谷崎は、やっぱり偉大だと思った次第である。
 
 「『春琴抄』ノート」は、まだ続く。

posted by 堀川成美 at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 研究その他

2010年12月02日

『春琴抄』ノート

 『春琴抄』ノートなるものを更新しはじめました。
 
 先月の19日ですか、何気なく見始めたNHKハイビジョンで『鴎外の恋人〜百二十年後の真実』って番組をやってたんですよ、90分番組で。
 鴎外の『舞姫』に登場するエリスのモデルの女性が実在して、それを鴎外の遺品の中にあった、モノグラムという刺繍の型板から探していくという番組でした。
 これが何気なく見始めたのに、夢中になって見てしまって、その見ている最中にぷちっと、自分の中にある切れてたスイッチが入ったような、入らなかったような…あ、あれ?こんな感じ前もあったな、と思って、この『春琴抄』ノートを書こうと思ってたことを思い出しました。

 大学の時に谷崎潤一郎の『春琴抄』で論文を書いたんです。学部在学中に3本。
 この論文を書くための調査過程が結構楽しくて、いつかこれを別の文章にまとめたいと思いました。
 思ったっきり、すっかり忘れてしまったんですが、今回その鴎外のドキュメンタリーを見てはっと思いだしました。
 そうだ、あれ書きとめとこう。
 ということで、その『春琴抄』ノートの中にもある通り、備忘録として一応書き始めたんですが、書こうとしてみたら忘れてる忘れてる…もう10年早くやっとくんだったと深く後悔しました。
 備忘録になってない。思い出して書く記録。
 しかもその時はきちんと整理したはずの資料も、今みると、「なんじゃこれ…何がやりたかったんだろう。」ってものがいっぱい残されているし、その関連性は覚えているのに、「資料どこだっけ」「資料なんだっけ」って感じで、該当する資料がどこにあったか思い出せない。
 だからこの書きものはぼつぼつ進むと思います。
 資料探しながら。
 
 肝心の論文本体ですが、残念ながら載せません。
 載せませんし、掲載誌も書きません。
 あのね、はっきりいって、読まなくていいよ、あんなもん。
 もし目の前で読んでたらチャッカマン持ってきて、しゅぼってやりますんで。
 なんかやっぱり所詮二十過ぎてそこそこの奴が書いたもんは、二十過ぎてそこそこのもんでしかない。
 タイトルに関係ないものは大量に書き込んでるし、必要なものは落としてるし。
 目いっぱい調べて、とりあえず大事そうなものを順番に放り込んで書いたって感じで、ちょっと論文としてはいまいち。
 それでもどうしてもその論文を踏まえたいという方がいらっしゃったら、メールで連絡してくださればお教えします。
 別の論文のならネット上にタイトル出てくるんですが、この分は出ませんね。
 必要のない人は、読まなくていいですから。
 でも必要な人は踏まえないと、パクリとか言われちゃうんで(知ってる人は知ってるし)、気をつけて踏まえてください。

 うろ覚えのものを思い出し大会。
 今更新してる分で墓所の説明があるけど、下寺町に三人目の妻松子さんに関係する人のお墓ってなかったかな。
 どうだっけな…。
 あったとしてもあの見解に変わりはないんだけどさ。
 これも確か当時写真撮ったはずなのに、それがどこにあるかわからなくて、結局また撮りにいきました。
 撮りにいったら若干昔と変わっていて、源聖寺の裏手なんですが、昔行った時は確か切り立った崖みたいになってて、裏手に上れるような段々なんてなかったように思うんですよ。今それを切り開いて新規分譲墓所なんて造ってるけど。
 で、当時あの下寺町に行ったときは、町全体を歩いてみて、「浄国寺じゃないと、この描写は無理だ。」って思ったんです。で、学校行って、友人と一緒に指導教授に、「先生、浄国寺じゃないと無理です。」って言いに行ったように思うんだけど、なんか説明しても先生にはなかなかわかってもらえなくて、自分で実際にものを見ないといくら説明しても無理と、結局没ってしまい、別の説明の仕方に変えてしまったように思います。
 だから今載せてあるのは没ったものです。
 でもまだいろいろ思い出してるうちに変わるかもしれないので、あれが決定稿とは思わないでいただきたい。今日の時点。

 約二十年ぶりの下寺町でした。
 車では何度か通過してるんだけど。
 なんかあの頃は天気の悪い日が多くて、下寺町ってあんまりいい感じが残ってなかったんだけど、今回行ったらさわやかに晴れててちょっとよかった。

 そういえば、今回新潮文庫の『春琴抄』引っ張り出して思ったことに、後ろに作品の説明があるんだけど、あれってかなり恣意的じゃないですか?
 今もあんな説明なんでしょうか。
 「単なる被虐趣味をつきぬけて、思考と官能が融合した美の陶酔の世界をくりひろげる。」
 あの…、すっごい物語が中で展開されているようですが、今の小説に慣れている人には全然たいしたことはないです。
 耽美派、エロスってよく谷崎の説明に使われるんですが、今の推理小説にぽっと出てくる、ボーイズラブのマンガに出てくる、それの方がはるかにいやらしいです。
 たいしたことないです。
 ていうか、これ読まず嫌いを生むと思うんだけど。
 この前学校で授業中何かの時に『春琴抄』の話を出して、あらすじを話してたら、「あれ?この話って感動する話だったんだ」って、そのきいてる生徒を見ながら思ったんだけど、文学作品はえてして、研究者たちのつくらげられたものによって変な先入観を生んでしまい、食わず嫌いを生んでるような気がする。
 
 
 
 ということで、時間が出来た時に更新して、それがたまったらここ書きます、よろしく。
posted by 堀川成美 at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 研究その他